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男女の話 (2) [脳]

 前回、男の行動様式は生まれつき……というようなことを述べたかと思う。

 だが、ラットの例を挙げて、マウンティングとロード―シスによって男女の脳の違いを述べたので……男脳と女脳の違いは、生殖のための性行動だけじゃないのか……そんなクレームが出るかもしれない。

 そこで、一つの例をあげることにした。先天性の副腎過形成という病気がある。腎臓の上に乗っかるように存在する小さな臓器、それが副腎。腎臓の付属物みたいに見えるので、そういう名前がついたのかもしれない。

 副腎過形成では、副腎の形成が過剰になるわけであるから……当然、そこから分泌されるホルモンに異変が起きる。

 そのホルモンとは? ……そう、あのアンドロゲンである。で、アンドロゲンが分泌され、女の胎児の脳がそれを被ると、何が起きるのか? 

 もう、おわかりと思う。そう、脳が男脳になる。そして、女の子の行動が、他の女の子とは違うのである。

 男脳になった女の子は……ままごとを嫌い、飛行機や刀、銃などのおもちゃで遊びたがる。これは、まさに、男の子の遊びたがるおもちゃである。

 男の子は、生まれつき、攻撃的な遊び、動きのある遊びが好きだということ、そして、それは男脳によるものであること、これで、ご理解いただけたかと思う(もちろん、例外はあるが、それはなんにおいても当たり前)。

 「男らしさ」という、最近では忌み嫌われている言葉の原点が、実は、アンドロゲンによって作り変えられた男脳の特性にあるのでは……そして、「女らしさ」と言われたものが、ヒトが元々持つ脳の特性なのでは……私はそう思っている。

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男女の話 [脳]

 脳には元々、男脳と女脳があって……なあーんて言うと、フェミニストの反発を食うかもしれないが……でも、やはりあるのは間違いない。それは、私が言いだしたことではない。自然の摂理なのである。

 人の性は……受精時に決まるのだが……実際に身体に男女の区別が現れるのはホルモンの影響である。ところで、身体に男女差があるのは、どんな思想の持ち主でもお認めになるかと思うが……念のために、その差をあげつらっておくことにする。

 まず、一番違うのは……外性器……下半身にあり、外から見える性器のことだが……これが違う。次に内なる性器の違い、男は睾丸……女は膣、子宮、卵管、卵巣……これも明らかに違うので、いやでも認められるに違いない。

 さて、次に、脳も違うと言うと……どこに違いがあると文句を言われる方も出て来るに違いない。色んな解剖のアトラスで、男の脳と女の脳とか、区別があるわけではないからである。

 なるほど、外見では区別がつかない。そこで、少し、論理的に話を進めることにする。

 ヒトでは、妊娠90日前後の胎児の時に、それまで男女わけ隔てなく生育していた男の胎児に大きな転機が訪れる。それは……臨界期と言われるのだが……これを引き起こすのはある物質である、しかもそれは、男の胎児の下半身に存在するものから出る。その物質の名は……男性ホルモン、アンドロゲンである。出すのは、睾丸、精巣である。

 このアンドロゲンのために男の胎児の脳に変化が起きる。つまり、男脳に変身するのである。

 じゃあ、女はどうか? 女はそのまんまである。つまり、アンドロゲンの洗礼を受けない脳は……変身しないのである。なぜ女だけ変身しないのか? それは、元々の脳の基本型が女脳だということ……男脳はスペシャルバージョンなのである。

 この男女の脳の区別……ラットでも証明されている。ラットの場合、臨界期は、生後5日までに及ぶ。そのため、オスのラットを去勢すると……性行動がメス型になってしまい、ロード―シスという行動を起こす。

 ロード―シスとは何か? ……ラットの交接(オスとメスの性行動)時に、オスはメスのおしり側から馬乗りになる。これはマウンティングというそうだが……この時、メスは背骨を湾曲させてオスの生殖器を受け入れやすくする。この背骨の彎曲が、ロードーシスである。メスが交接しやすい体位をとるためである。

 逆に、メスのラットにこの時期、アンドロゲンを投与すると……今度は、メスのラットがマウンティングをするようになる……あな、恐ろしや、小さな胎児の股間にある二つの睾丸から出るホルモンが男脳をつくっているのである。

 男と女の行動様式の違い……というより、男が女と違った好みや習性、行動様式を持つのは、母のおなかの中で、自らの股間にある二つの球体から出るホルモンを浴びたせいであり……決して、生まれたあとで社会から押し付けられたものではないのである。

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頭がよくなる生き方(3) [脳]

 さて、頭がよくなる生き方をするためには条件があると言った。それは何か?
 P.F.ドラッが‐が何を言っているか? 企業の活動目的は「利潤の追求」ではなく、「社会貢献」であると言っている。誠に至言である。それは個人においても言える……私はそう思う。なぜなら、我々は社会的存在である。社会人だからである。
 生きる目的は何か? そう問われると、答えに窮する人がいると聞く。子供が親に「何のために勉強するの?」と訊いたとする……親は何と答えているのだろう? 
 昔の親は「勉強して、難関大学に入れば、一流の会社に就職できる。だから、勉強しろ」そう答えていたと聞く。学校の先生も、そんなふうな答えをしていたと聞く。いいか、悪いかは別にして、それで理屈は通っていた。しかし、現在、そんな理屈は通らなくなった。いい大学に合格したからといって、将来が保障されているわけではない。超難関大学出ても、一流の会社に就職できるどころか、どこにも就職できないかもしれない。就職できたって、途中でリストラにあうかもしれない。そんな時代になっている。
 では、勉強する目的はなくなったのか? そんなことはない。昔からずっと存在している。だから、私だったら、迷わず「勉強するのは、社会貢献するためだ。生きる目的も社会貢献だ」そう答える。
 話を戻すが、頭を使うのは社会のためだ。だから、頭がよくなるには、社会貢献が生きる目標であることが前提である。頭がよくなるほど、それが必要だと思う。なぜなら、『出る杭は打たれる』、そう昔から言われている。頭がいいと、ねたみを買うことが多くなる。足を引っ張られやすくなる。だから、頭の使う目的が社会貢献でなくては、反社会的、脱社会的ということになって、社会から排除されることになる。
 これから頭をよくしたい方には、ぜひとも、心していただきたいものである。
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頭がよくなる生き方(2) [脳]

 なぜ、実行できないか? それは常識が邪魔をするからである。
 常識? なんで常識が邪魔をするの? 常識が悪いの? そう聞きたくなるかもしれない。
 常識といっても色々あって、邪魔をするのは狭い世界の常識である。私の活動する世界では、医者の常識、社会の非常識……なんて言われる常識のことである。長い年月をかけて伝え続けられている常識というか、しきたりというか、文化と言うか、そういった社会の普遍的な常識は邪魔をしない。むしろ、論理的思考に不可欠なものである。そんな常識の中に、私の場合、世間体とか、見栄とかいうものも含めている。他人に迷惑をかけない、後ろ指をさされないことは重要であるが、世間体とか見栄とかいうものは、自分本位のもので(実は、そうならないことが多いが)あって、世間様のことを考えているのではない。
 人は、論理的に考えることはできるが、実際は、そういったさまざまな常識にしばられて行動してしまうことが多い、私はそう思っている。論理的に考えれば、こうした方がいいのだが……隣がしていないから……あの人はああしたから……とりあえず、大勢に従おう……そういうことである。だから、いつまでたってもロジカルシンキングはできても、そこで終わってしまうので、脳に回路ができない。結局は、自分では考えるだけで、行動様式は、周りに従う。そして、還暦を迎えた時は……自分の頭で考えることのできない老人となる。それでは、若い世代の役には立たない。何かものを訊かれても、世間体や見えで行動してきた老人の話では、訊いた方は、聞く耳持たぬであろう。論理性がなければ説得力を持たないからである。
 逆に、論理的にものを考え、それに従って行動してきた老人であれば、頭の中には相当のソフトウエアが出来上がっているので、訊かれたことを論理的に分析し考え、何らかの答えを出せる。決して若い世代に論破されることはない。
 さて、頭がよくなる生き方をするには、ある条件を満たす必要がある。次回はそれについて……。
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頭がよくなる生き方(1) [脳]

 頭がよくなる生き方、私は、そんな生き方があると思っている。
 ロジカルシンキングという一時期一世風靡した言葉がある。論理的思考がビジネスを成功させることに結び付く、そんな話ではなかったかと思う。物事を論理的に、合理的に考える。それを聞いた時、私はふと思った、これは使えると……。何に使うのか? 頭をよくするためである。
 日常生活において、何か課題がある時、ロジカルシンキングをしてみる。そこから出てくる解答は合理的な答え……だとすれば、迷わずそれを実行する。そして、問題がなければ、それを繰り返す。頭をよくするためには、この繰り返すことがポイントである。なぜ、ポイントか? 行動パターンを作り上げるためである。
 神経科学の分野にLTP(long-term potentiation)長期増強という言葉がある。神経細胞と神経細胞はシナプスという構造でつながりをもっており、そこで刺激の伝達が行われている。ここを刺激が何度も通るほど、伝達しやすくなる、つまり増強されるというのだ。これが人間の長期記憶のできるメカニズムと有力視されている理論である。人間は長期記憶を使って活動している。仕事のやり方、行動パターンなどがそれである。
 何度も何度もロジカルシンキングででた方法、判断基準、行動基準をどんどん使っていく。すると、脳の中でそれが長期記憶となり、さらには手続き記憶となるものも出てきて、色々迷わなくても無意識に合理的な行動ができることになる。合理的な判断、行動があらゆる場面でできる、それは頭のいい人だ。論理的思考をして、それに従って行動すれば、自然と頭はよくなる。私はそう思う。
 私の話を聞いて、たいていの人は納得する。だが、たいていの人は実行できない。それはなぜか?
 つづきは、また……。
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子供にゲームがよくない理由 [脳]

 高齢者には、ゲームがいいと言った。では、子供にはどうか? よくないに決まっている。子供によくない理由は何か? それはゲームが楽しいからである。おまけに子供の脳はすっからかんである。そして、極めつけは、ドパミンがたくさんでる脳だからである。
 前には述べたが、子供の脳はドパミンでいっぱいだ。それは、これから社会に出て仕事をするためのソフトを色々とつくりだす必要があるからだ。だから、当然、すっからかんだ。そこで、ゲームに出会うと何が起こるか? 
 ゲームは面白いから、ドパミンがじゃんじゃん出る。だから、いくらでもやる。疲れ知らずでやる。ゲーム中毒だ。好きこそものの上手なれ……ドパミンなど知られていない昔から言われていたことだ。面白く、好きなことはいくらでもやる。だから、ゲームはうまくなる。そして、やるにつれ、ゲームを攻略するソフトウエアだけはどんどんと増殖していく。しかし、それでは、社会で生き抜くためのソフトウエアが脳にできてこない。
 ゲームをやるだけで飯が食える時代がくれば、それでもいいかもしれない。社会常識はなくても、食うにはこまらないのだから。だが、そうはなってない。食い物にされるのは、子供の方だ。いや、最初は子供の親かもしれない。だけど、そのゲームしかできない子供が大人になった時、何が起きるのか? もう、起きかけているのかもしれないが……。反社会的とは言わないが、脱社会的とでも言ったらいいのか、とにかく、社会は迷惑することになる。だから、子供にゲームをさせるのは反対である。
 高齢者にはゲームを勧めといて、子供はダメだと言う……では、いったい、いつ頃からゲームをやればよいのか? 私の答えは、論語にある不惑である。不惑、惑わない年齢である。齢四十になれば、たいていのものは社会で生きていくためのソフトウエアはほぼ完成しているであろう。そして、もう十年もすれば、初老である。そろそろゲームの力を借りても、多少はまることはあっても、飲み込まれてしまうことはないと思うからである。
 
 
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ゲーム脳のすすめ [脳]

 ゲーム脳という言葉が飛び交った時期があった。ゲーム脳では前頭前野の機能が低下している。考えていない……そんなことだったと思う。前頭前野は、あの理論家の棲むところ、確かに論理的に考え、判断し、新しいことに取り組むためには不可欠な部位である。
 新しいゲームをやり始める時、理論家も参加する。しかし、慣れてしまったゲームに興じている時は、前頭前野の理論家は休んでいる。……とすれば、いったい、ゲーム脳ではどこが働いているのか? 爬虫類の脳? もちろん動いている。では、野獣の脳は? それも働いている。つまり、ゲームに興じている時は、理論家には休んでもらい、爬虫類と野獣でゲームをやっているのである。
 ゲーム脳は、まずいのか? 一概にそうとは言えない。理論家を酷使したあとは、お薦めである。前頭前野に集まり過ぎた血流を他の部位に拡散させる、大事なことである。もうひとつゲーム脳、お薦めの人たちがいる。野獣や爬虫類の脳がさびつき始めた人たちだ。人間年をとると、身体の動きが鈍くなる。特に、瞬発力が落ちる。同時に、頭の方も、働きが遅くなる、切れが悪くなる。
 理論家の活動を支えているのは、爬虫類や野獣の活力である。爬虫類や野獣がしっかりしていないと、理論家までだめになるのである。だから、年をとるほど、足腰を鍛えるだけでなく、爬虫類や野獣の脳を鍛える必要がある。それには、ゲーム脳になるのも、ひとつの方法である。私は、高齢者こそゲーム愛好家になって欲しい、そう思っている。
 
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脳にある二つの経路(8) [脳]

 我々、ヒトは言葉を使う。耳から入った言葉は側頭葉の上部にある聴覚野にばらばらの音として入ると、後部に向かい、後頭葉、頭頂葉、側頭葉の三つが合流するあたりにある言葉を認識する中枢、つまり感覚性言語中枢で言葉として認識されることになる。
 そして、言葉を話そうとする時には……この感覚性言語中枢で言語はつくられ、前頭葉にある運動性言語中枢へと送られる。そして、言葉として発せられたり、文字として書かれたりする。この言語が送られる経路はサイエンスの経路の一部である。いわゆるロゴスが伝わる経路である。「ミカンを三個ください」「私は昨日、会社へ行きました」など、クールに物事を伝達するための経路がこれである。 では、「私は腹をすかしてひもじいんです。なんとかたべさせてくれませんか」などと気持ちも伝えたい時、我々は、それを表情で、しぐさで伝えることになる。いわゆるパトスの伝達である。文字だとそれができない……どうするか? メールなどでは顔文字・絵文字が使われるようだ。たぶん、顔文字・絵文字はアートの経路を伝わるのであろう。
  言語は、クールな情報伝達にはまことに便利なものであるが、感情を伝えるにはやはり、顔や身体で伝える必要があるのだ。そして、何を伝えたいかで、その比率(言葉と表情・仕草の比率)は変わってくるのである。






脳にある二つの経路(7) [脳]

  日本人は手が器用。私もその通りだと思う。それはどういうことか?ここからは、私の推論になるが……食文化に起因すると思う。食文化と言っても、それは食事のメニューや食材のことを言っているのではない。食事の作法道具のことを言っているのである。
  Wikipediaによれば、世界の約三割の人がを使うとされる。アジアの人々は箸を使うが、あらゆる食事のメニューで箸を使うのは日本人くらいである。汁物でも箸を使う。それと特徴的なのが、片手に茶碗をもう一方の手に箸を持って食べる作法である。
 我々の脳は道具を使い慣れると、脳の中に道具を支配する領域が出現すると言われる。プロゴルファーやプロテニスプレイヤーがいともたやすく、ボールをクラブやラケットで操る光景を目にすることがあるが、あれはクラブもラケットも彼らの脳にとっては身体の一部なのである。
  さあ、箸はどうか……もちろん同じである。それどころか、もっと慣れ親しんでいるものである。道具は、使い慣れると手にした時から身体の一部と化す。日本人にとって、箸は手にした時に身体の一部となるのである。さて、そんな箸も使い始めは使うのが難しい。最初に箸を使う時、前頭葉の運動野と頭頂連合野でさかんに情報をやりとりしながら、箸を操ることになる。だから、ぎこちない。ところが何度も使っていると。情報のやり取りの回路が強化されていく。そして、箸を使う作法の基本的なところは野獣の脳にコピーされていく。それが手続き記憶と呼ばれるものである。手続き記憶ができれば、意識しないでも箸が使える。手にしたとたん自在に操れることになる。ナイフとフォークで食事をするのと、箸を使って食事をするときの動作を比べてみるとよい。箸が大いに難しい。ナイフとフォークは幼児でも操れる。さらに、左手に椀を持ち、その中の食事をつまむ。左右の手の協同作業である。さらに難度があがる。これを小さいころから、毎日毎日、三度三度繰り返してきたのが日本人なのである。だから、日本人の場合、細かい作業用の頭頂連合野が出来上がる。野獣の脳にもそのコピーができる。そして、その結果、手の器用な日本人が誕生したのである。私はそう考える。
 何世代にもわたって我々日本人は自分の脳に精巧な頭頂連合野をつくりだしてきた。何世代もつづくと、それは遺伝子にも影響が及ぶ。そんな日本人だから、手が器用なのだ、私はそう思っている。
 ということで、箸を捨てて、ナイフとフォークに乗り換えるなど、ゆめゆめしてはならぬことだと思っている。
 さて、脳の二つの経路の話、ここで終わったわけではない。続きはまた……。


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脳にある二つの経路(6) [脳]

 メガネザル以降の進化した動物の頭には、それまでの動物にはない領域が現れる。それが頭頂連合野(とうちょうれんごうや)呼ばれる領域で、そのために頭頂葉が大きくなっている。頭頂葉はサイエンスの経路が通る部位、そして、頭頂連合野こそがサイエンスの経路なのである。
 サイエンスの経路には後頭葉の視覚野から視覚情報(映像)が……側頭葉の上部にある聴覚野から耳から入った聴覚情報(音声)が……頭頂葉の最前部にある体性感覚野から皮膚から入った情報(触れる感覚、痛みの感覚、温度の感覚など)が入ってきて……三次元の精密な空間がつくりだされる。目の前にあるものがオレンジであれば、三次元のオレンジの形、肌合いが精巧につくりだされることになる。オレンジと我々との距離、我々の手の位置、手の角度、逐一情報が頭頂連合野で把握されることになる。そして、その情報は運動の中枢である前頭葉の運動野に送られることになる。
 その情報をもらった運動野からはどんな運動をするかという情報が頭葉連合野に送られる。その情報を基に、頭頂連合野はつぎつぎとオレンジと我々の身体の三次元空間における情報を前頭葉に送ることになる。すなわち、頭頂連合野は、運動を感覚情報処理をすることによって制御していることになるのである。
 この頭頂連合野の機能が正常に働いているから、我々はいともたやすく、目の前のオレンジに手を伸ばし、皮をむき、ひとふさずつ口に入れることができるのである。
 よく、日本人は手が器用だと言われる。それについて次回は触れることにする。


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