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わび・さび(2) [人生]

 人生はだけでできているわけではない。光があれば影があるように陽があれば がある。
 絢爛豪華だった建物が、いつのまにか廃屋に……栄華をほこっていた一族が、落ちぶれ果てる……光り輝いていた美貌の乙女が、しわだらけの老女に……諸行無常である。しかし、陽だけを求めていては、陰を避けたくなり、人生は半分しか味わえない。人生の残りの半分は、陰である。陰は、本当に味わえないものなのか? 答えは否である。
 人との別れはわびしく、さびしいものである。愛する人との別れはその極にある。伴侶、恋人、肉親との別れの時、こころ打ち震えるものがあるかもしれない。しかし、そのわびしさ、さびしさを感じる心には、誠はあってもけがれたものはない。さびしさ、わびしさの中には味わい深いものがある。それをしっかりと味わうのが……わびさびの文化、私はそう考える。
 人生にある陽と陰を味わえる人、人生のすべてを味わいつくせる人、それが人生の達人である、私は、そう考えている。
 釈尊は、万物は変遷する、この真実を受け入れない無知が、迷いを招き、そこに欲望がうまれ、欲望が執着を生み、執着が苦しみをつくりだすことを覚ったという。そして、無常という真実を受け入れなければ、心の平穏は訪れない、悟りは生まれないと説いたという。この釈尊の言葉も、同じようなことを告げている、私はそう思う。
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