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地縛記憶2: 京都、地脈の乱れ(第56回) [ミステリー]

 吉本敦子の実家は、京都市内で手堅く商売を営む老舗の呉服問屋だった。 それが二十年ほど前、日本にバブル崩壊の波が襲った時に、営業は順調だったにも関わらず取引銀行から借金の貸しはがしにあって、敢え無く倒産となった。 そして、それがもとで、彼女の父親は自殺に追い込まれた。

 その取引銀行に貸しはがしをやるように圧力をかけたのが、福本財閥の総帥、福本一郎だったのだが、それを知ったのは、つい最近のことである。

 吉本敦子の母親は、呉服問屋の御嬢さんとして生まれ育ち、近所でも評判の美人だった。 敦子の母は、一人っ子で、他に後継ぎはおらず、手代であった敦子の父親が、その人柄を見込まれ婿養子となっていた。

 実直な性格の父親は、自分の代で老舗の呉服問屋をつぶしてしまったことをひどく悔いて、自殺に追い込まれたのである。

 福本一郎は敦子の祖父と親交があり、そのため、敦子も何度か吉本宅を訪れた福本一郎のことを覚えていた。 その福本一郎が、呉服問屋が倒産し、敦子の父親が自殺した後から、吉本宅に頻繁に顔を出すようになり、吉本の家族に物心両面から援助をするようになった。 

 当時、吉本敦子の家族は、敦子の他に母親と姉、それと祖母の女だけの四人家族になっており、最初は遠慮気味だった祖母も母も、徐々に福本一郎を頼るようになり、彼の援助を喜んで受け入れるようになっていった。 そして、いつしか福本一郎は吉本の家に泊まっていくようになった。

 敦子も、子供心に、母と福本一郎の間に男女の関係を感じるようになり、しだいにそれが当たり前のようになっていった。 そして、一年ほど過ぎたころ、母は弟、辰夫を生んだ。 福本の子である。

 辰夫は、福本一郎の子供として認知され、前にもまして、福本からの吉本家への援助の額も増えていった。 辰夫は、現在、京都の名門洛北高校に通う高校三年生で、数学オリンピックでメダルを獲得する程の頭脳を持っていた。 辰夫は、父親違いではあるが、小さいころから面倒を見てもらっていたせいか、すぐ上の姉である敦子と、今でも仲がよい。
 
 敦子は、福本一郎に対して特に甘えをみせるようなことはなかったが、経済的に面倒をみてもらっているのは自覚していたし、母も福本一郎が来たときは甲斐甲斐しく立ち振る舞うので、内縁ではあるが、彼を二人目の父と見なすようになっていた。

 それが、ある時から一変することになった。

 三年前の冬、祖母が癌のために死んだ。

 それは、祖母が死ぬ数日前のことである。 入院中の祖母の見舞いに付き添いも兼ねて敦子がひとりで行ったことがあった。 敦子が、祖母の枕元でぼんやりとその顔を見ていたところ、祖母が、眼を閉じたまま、つぶやくように言った。

「あっちゃん、あてからあんたに言わなあかんことがあるんや。 実はな、福本はんはな、あんたのおとうはんの仇やで」

 敦子は、最初、祖母の言葉の意味が分からず、訊き返した。

「なんやて、福本さんがおとうはんの仇やなんて、それ、どういうことなん?」

 敦子に訊かれて、祖母は痩せ細った右手を伸ばして敦子の手を握ると、再び、口を開いた。

「うちの店がつぶれたんは、洛中銀行からの借入金の貸しはがしのせいいうこと、あんた、知ってるやろ?」

「ああ、知ってるえ」

「実はな、あれを裏から指図してはったんは、福本はんや」

「ええっ、それ、ほんまなん?」

「ああ、そうや。 十年ほど前にな、銀行で長いこと貸付担当してはった人から聞いたんや、そやから、間違いあらへん」

 祖母の言葉に、敦子は言葉を失くした。
                                 
   続く ⇒ http://shiratoriksecretroom.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06-1

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